・レオクラブの誕生

 レオクラブは1957年12月5日にペンシルベニア州のグレンサイド・ライオンズクラブのメンバーであり、当地のアビントン高校の野球部の監督をつとめていたジム・グレーバーが提唱した青少年育成プログラムに始まります。


 グレーバーは26名の野球部員と他9名の計35名をメンバーとしてレオクラブを立ち上げました。最初の会長を務めたのは、グレーバーの息子のビル・グレーバーでした。

 グレンサイド・レオクラブは、1963年にタマカ・レオクラブが誕生(同ペンシルベニア州)が誕生するまで世界で唯一のレオクラブでした。レオクラブは1964年にグレンサイド・レオクラブのある14-K地区の公式プログラムとなります。
 
 日本では、1961年10月18日に「ライオンズ学生会」が結成されましたが、これも日本のライオンズクラブが独自に助成金を支出したものでした。国際協会は下部組織をもつことに当初反対の方針でしたが、しかしライオンズクラブ会員の高齢化うけて、また将来の会員を育成・獲得する方法として、青少年育成プログラムの必要性は徐々に認知されるようになります。レオクラブがライオンズクラブ国際協会の正式なプログラムとして認可されたのは、1967年10月にプエルトリコのサンファン国際理事会でのことでした。
 

 当初レオクラブのロゴは一匹のライオンが咆哮するものでしたが、後に双頭の獅子に置き換えられます。左側の頭は過去への尊敬、右側の頭は未来への自信を表しています。金色とマルーン(栗色)という配色はアビントン高校のスクールカラーを受け継いだもので、この色使いが現在でも使用されています。
 
 

・日本のレオクラブ

 レオクラブの公式プログラム化が了承されると、英文の会則や結成手続きをとりよせて、高知ライオンズクラブのL.下司孝麿が翻訳研究をおこないました。同クラブ所属で私立高知学園の学園長であったL.川島源司はレオクラブの趣旨に賛同し、高知学園高校の2、3年生の男子23人をメンバーとして1968年6月29日、日本初のレオクラブである高知レオクラブが結成されます。

 

 

 日本のレオクラブは誕生から10年を迎える1978年には、全国に180クラブ、1100名の会員を数えるまでに成長します。

 また、この年開催されたレオフォーラムでは、毎年3月の第3日曜日を「レオ・デー」とすることが決議されています。

 

 

・アルファ・レオ、オメガ・レオ

 初期のレオクラブ会則では会員資格について「本クラブの会員は、立派な性格を持ち、かつスポンサー・ライオンズクラブのレオ委員会が的確と認めた15歳から20歳までの青年男女とする。レオクラブは男子のみのクラブとしてもよいが、男女のクラブの場合は会員の半数以上は男子であることを必要とする。全員男子のレオクラブにするか、あるいは男女両性のクラブにするかは、スポンサー・クラブが決定する」とされていました。

 その後、会則は「レオクラブ会員の標準最低年齢は14歳とする。最高年齢は、複合地区ガバナー協議会、単一地区の場合は地区キャビネット、地区未形成地域においてはスポンサー・ライオンズクラブが決定する」と変更されました。1987年6月の台北の国際理事会でレオクラブ会則が改正され、14〜17歳のアルファ会員、18〜28歳のオメガ会員の区分が設けられます。 なお、現在の規約では最低年齢は12歳、最高年齢は30歳と定められています。

 2008年に行われた国際理事会で、ライオンズクラブのロゴとともにレオクラブのロゴもマイナーチェンジしました。ライオンの顔の描写が多少変わっています。

 

 

・レオクラブ統計

 2012年8月現在の統計では、主要各国のレオクラブの統計は表の通りです。

 アメリカはアルファ・レオが1511クラブ、オメガ・レオが43クラブ。

 イタリアはアルファが7クラブ、オメガが405クラブ。

 ブラジルはアルファが84クラブ、オメガが326クラブ。

 ドイツはアルファが5クラブ、オメガが197クラブ。

 日本はアルファが75クラブ、オメガが65クラブ。

 韓国はアルファが24クラブ、オメガが68クラブ。

 フィリピンはアルファが19クラブ、オメガが65クラブ。

 フランスはアルファが1クラブ、オメガが56クラブとなっています。

ライオンズクラブ国際協会ニュース
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